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Dec 22

林由美香が亡くなった。 

報道によると、6月27日――彼女の35歳の誕生日の翌日――彼女の部屋から遺体が発見されたが、事件性は無く、傍らには、酒と睡眠薬が残されていたとのこと。
我々の世代にとっては、伝説のAV女優であり、俺にとっても私的な想い出もあり、実に感傷的な気分になった。

林由美香のデビューは89年、丁度、昭和から平成への端境期である。
当時は、爛熟のバブル期であり、この時代の境目に、股間の境目を晒しつつ、時代を文字通り、またいだAV女優であった。

また、彼女は、業界を席巻した “過激美少女”路線のはしりであった。
当時でもAVアイドルの寿命は、長くて2年、そうでなければ1年未満で消えていくのが大半であったが、彼女は、何度か引退宣言や引退作品はあったものの、 その亡くなる日まで現役女優として業界に居続け、ピンク映画にも数々出演し、史上最高の400本もの出演作を世に送り出した名女優でもあった。

俺は、1995年に出版した『博士の異常な愛情』(青心社)のなかで、彼女について、以下のように書き綴っていた。


俺達も連載している『週刊アサヒ芸能』――。
この雑誌の風俗店紹介記事“ごっくん美女ランド”に、なつかしのビデオギャル・林由美香を発見し、“ごっくん”と生ツバを飲み込む。
なにしろ、ビデオギャルの句は短い。
林由美香と言えば、まだ村西とおる監督がカネにあかし、カメラとマラが勢いよくビンビンにいきり立っていたバブルの全盛時代。
淫乱・巨乳と爛熟したAV界で、ブームに逆らうような、痩身に小さな胸、そして、とびっきり大きな瞳のロリータ・フェイスで駆け抜けた“伝説の美少女”であった。
俺は当時の彼女のビデオを見て江口寿史が描くところの『ストップ!! ひばり君!』の主人公“大空ひばり”が裸のホログラフで動きだしたような錯覚さえ感じたものだ。
もちろん、当時から彼女の大ファンだった俺のチンチンは、日々、彼女の代表作のタイトルのように“硬式ペナス”になっていたものだ。
そんなことを思い返しながら、俺はもはや“ノンストップ!! はかせくん!”と化し、単身、彼女の在籍する池袋のイメージ・ファクトリー『ハロウィン』に“恐れと欲望”を胸に秘めて“突撃”した。
あこがれのビデオ・ギャルとの再会を果たすため、現実のPLAYの再生ボタンを押すことはエロ男のバカロマンだが、風俗界のニュー・ウェーブ“イメー ジ・クラブ”通称イメクラヘの潜入・調査することは、オフィス北野のタレントの顔をかなぐりすてた、オフィス北尾所属の“セックス冒険家”の大事なお仕事 なのだ。(元横綱の北尾光司がプロレスラーになる前に名乗っていた職業が“スポーツ冒険家”なのだが、俺はそれにならい、“セックス冒険家”の肩書きを好 んで使っている)
この店もまた、池袋のマンションの一室にあった。
部屋の通路を区切った、待合室に通され、まず店長より、このイメージ・ファクトリーのシステムを紹介してもらった。
イメージ・ファクトリーとはいったい何ぞや?
プロレス界で『モンスター・ファクトリー』といえば、あの刺青獣バン・バン・ビガロなどを輩出した、レスラー養成ジムだ。
しかし、この風俗界のファクトリーは、「ハロウィン」と名乗るだけに、女・松村邦洋みたいなオバケカボチャでも養成しているかと危惧していたのだが。
あにはからんや、この店に在籍する女の子は全て現役あるいは元AV嬢と言う“ビデオギャル再生工場”いやいや、俺に語らせるならば、AVファンのためにあるような“夢工場”であった。
このイメージ・ファクトリーとは、今流行のイメクラにAV女優の看板をプラスした新趣向のお店らしい。
もちろん、俺はこの工場の、大ヒット商品“林由美香”を発注した。
そして、店長に渡された、メニューの多種多様さに驚かされた。
まず、基本コースだけで6コース、トッピングメニューが20種類、コスチュームが26パターンもあるのだ。
単純計算でも3120通りの組み合わせがあるわけだ。
まず、基本コースは、1万5千円の値段設定から始まるのだが、さまざまな選択枝の中から、3万円のAV監督コースを選んだ。
なんだか、日大芸術学部に合格して、専攻を選んでいるような気分だった。
しかし、3万円の学費であこがれの監督になれるなら、安いものだ。
そして、俺はビデオカメラを背負い、新人AV監督としてボディコン姿の林由美香と念願の対面をした。
林由美香は、AV時代に比べてやや太ったようだが、相変わらずマンガの中の大空ひばりの様に可愛かった。
その上、俺たちを知っていてくれて「とても面白い」と言ってくれた。
お世辞だって嬉しいもんだ。
そして、俺は、まだまだ未熟な冒険家で、女優に対しあれこれとプレイを指示するようなAV監督には向いていないことを自覚した。
そして、あれだけ細分化したトッピングに何でも答えてくれる“現金に体を張れる”女の子は、やはりプロとしてエライと感じながら、時間と共に、彼女の、あの大きな瞳のなかに吸い込まれていった――。

結果、俺の部屋のビデオテープラックに、一本のテープが増えた。
ラベルのタイトルは……、『博士の異常な愛情』だ。


と、何箇所も故・スタンリー・キューブリックの映画のタイトルを引用しながら、思い入れたっぷりに、この章を書いている。
ちなみに、この本のメインタイトルが『博士の異常な愛情』であり、副題は、 「または私は如何にして心配するのを止めて風俗とAVを愛するようになったか。」である。

このタイトル通りに、この頃、俺は風俗ジャンキーを自称し、そのルポを毎月、エロ雑誌に連載し、この一冊にまとめたのだ。

さて、この俺の行動が異常なのか、正常なのかはわからないが、AVの創生期が思春期とクロスし、夢と股間と膨らませた憧れのAV女優が、ビデオモニターから飛び出し、自分の目の前に裸身を晒している様子は、俺の人生のなかでも指折りの目くるめくような体験であった。

そして、引用した文章にもあったが、当時、俺は芸人としては売り出し中であり、初めてのゴールデン番組のレギュラー、『浅草橋ヤング洋品店』に起用され、名前と顔を知られつつあり、上昇気流に浮かれていて、寝る暇を惜しんで遊びまわった頃であった。


そして、後日談――。
『浅草橋ヤング洋品店』のロケ収録中の94年の12月24日のこと。

日付まで覚えているのは、もちろん、その日がクリスマスイブの夜だからだ。世間が浮かれきった、この日に、イブのイベントなどに脇目もくれず、「中華料理戦争」のため、周富徳、金万福など色気のない面々と過ごしていた。  

浅ヤンのロケは、一日仕事であり、早朝から始まったロケも日が落ち、既に21時を廻っていた。

ようやく、この日のロケのゴールが見えかけた時、まだ買いたての俺の携帯電話が鳴った。

「もしもし……」それは林由美香からであった。
「今日、予定あるの?」と聞かれて、即座に、「ないですよぉ!」と答えると、
「一緒に飲もうよぉー」と既に呂律の回らない声で彼女は答えた。
ロケが終了し、すかさずコンビニで売れ残りのケーキを買い、新宿にあった彼女の部屋へ向かった。

ワンルームのマンションに入ると、部屋の隅々に、CDが横積みされた山が崩れ、酒の饐えた匂いがして、洋酒の空き瓶がそのまま転がっていた。
アロマ代わりの線香が炊かれ、俺が名前も知らない洋楽がかかっていた。
「ハロウィンの次は、クリスマスですか?」などと俺は軽口を叩きつつ、池袋の一室以来の再会を祝う乾杯をし、その後、さまざまな話を交わした。

今でも、よく憶えているのは、電気グルーブとブルーハーツの話をしたこと。
電気グルーブは本人から貰ったと思われる、未開封のサンプル版CDが何枚も床に転がっていた。
電気も俺たちもオールナイトニッポンのDJをやっていた頃だったろう。
それは、漫才師とロックバンドとAV女優とが地続きであり、接点もある同時代性を物語るものでもあった。
石野卓球も、大槻ケンヂもAV出演自慢を語り、AV男優だったマグナム北斗は、漫才師に転進、若手芸人の誰もがAV男優になりたいと言っていた時期であり、何故か誰もが、なりふりかまわず脱ぎたがっていた時代でもあった。

あの夜、二人でAV論も語った。
当時は、彼女はAV業界からセミリタイア状態だったのだと思う。
「AVのいいのは自由なところだよねー。居心地がいいもん。気取ったところがないし、表現にタブーがないよね。他のジャンルに真似できないじゃん。もう引退作は撮ったけど、もう自分が主役でなくてもいいの。ただロケの現場に居るのが楽しいから……」

そんな話は、当時、浅ヤンに没頭し、ロケ現場の完全燃焼の実感そのものが、なにより生きている証でもあった俺も共通し意気投合した。

「でも、私は、まだまだ代表作を残したいのよー」
「カンパニー松尾の『硬式ぺナス』があるじゃない?」
「そうじゃなくて、もっとAVを越えた代表作を作りたいのー」

その間、彼女は休む間もなく飲み続けた。
すっかり夜が白み始めた頃、泥酔した彼女に肩を貸し、何度も嘔吐のためにトイレに駆け込んだ。
それは見るからに身を削るような飲み方であったし、また、そういう飲み方をする相手に対し、俺にPTSDがあるので、飲めば飲むほどに気持ちが冷めていく時間でもあった。

そのうち、彼女の目も胡乱になり、
「あんた、どうせ、あたしをAV女優だと思ってるでしょう。だったら、あんた、カメラの前で本番、出きる?」
などと絡まれると、答えに窮した。

80年代初期に現れたAV女優という新種の女性たちが、かつてのポルノ女優と相違するところは、本番行為の有無であるだろう。
AV女優とは、カメラの前で本番行為をする女優という言い換えも出きるであろう。
また、人前で、セックスの本番を演じるという意味に於いては、AV女優は、演技ではなく、リアルそのものを画面に見せていたのだ。
(多くの女優は擬似本番でもあったが……)

そして、考えてみれば、彼女は、有名なラーメンチェーン店の娘であったから、お金のために本番行為が必要であったわけではなかっただろう。

しかし、一度、踏み込んだ本番行為というパフォーマンス、AVビデオという表現を、なんとか作品に昇華させたいという、彼女のなかの、後ろめたさと顕示欲のせめぎあいを感じないではいられなかった。

彼女の人生のなかで、〝本番〟は必要だったか、邪魔だっただろうか?
そして、人生は常に本番そのものだ――。

「いい映画撮れたから、絶対、見てねぇ」
と彼女から電話があったのは、1996年のことだ。
ついに、彼女は作品に恵まれた。
俺もAV監督のみならず、その漫画家、映像作家の才能を大いに買う、鬼才・平野勝之作品に出演依頼され、1ヵ月間に及ぶふたりきりの自転車の旅を決行。
その作品は『わくわく不倫旅行』(V&R)のタイトルでリリースされ、後に 映画『由美香』として劇場公開もされた。

監督と女優が恋人となり、肉体関係を結びつつ自転車で長期旅行する。
監督には妻も子供もいて、その不安定な二人の関係を自転車や旅に暗喩する。
AVとロードムービーが合体したかのような、奇妙な味わいの持つ傑作であった。
この作品は、一般のマスコミでも話題になり、作品的にも高い評価を得た。
きっと彼女が待ち望んでいた、AVを越えた代表作になったであろう。

そして、今、彼女の400本を越える出演作のなかで駄作であるだろう、俺が撮影した、林由美香主演の『博士の異常な愛情』のAVを再生する。
それは、「ニューシネマパラダイス」のラストシーンような切ない思いに胸が締め付けられる映像だ。

あの飛びっきり大きな瞳は永遠に閉じられた。
〝アイズ・ワイド・シャット〟だ。